2009/01/09(Fri)
歴史「萌え」?な初詣!
何だかサーバー元のdtiブログの調子が、ものすごく悪いようだ。えらい接続が悪くなっている。
下の花はサンタンカ(山丹花:イソクラ・コッキニア)。日本的な名前だが、れっきとした熱帯の花である。ちなみに、学名の「イソクラ」は、ヒンドゥー教の最高神である「シヴァ神」を意味するそうだ。夢の島熱帯植物館にて撮影。

冬期休暇が終わり、静かだった大学が学生たちで溢れ返っている。まあ大学が学生で溢れているというのも、当然といえば当然の話なのだが。
さて、先日の日記にあるように、毎年初詣に訪れている湯島天神だが、今年はちょうど前日の大晦日の日に行ってしまったため、初詣の行き場を失ってしまった。どこへ行こうか考えながら先延ばししてきたのだが、大学に行く途中で手軽に行ける寺社に的を絞り、冬期休暇の最後の日である1月7日の午前中ようやく初詣に行ってきた。
向かった先がこちら。

雷門。とくればお分かり頂けるだろう。浅草の浅草寺である。さすが全国区のお寺だけあって、年明けから1週間が経とうとしているのに、ものすごい人ごみだった。下の画像は仲見世。「元禄、享保のころ」に始まった日本で最も古い商店街の一つだそうだ。

浅草寺といえば、やはり雷門が有名だが、下の宝蔵門も立派である。どちらの門も942年(この頃の宝蔵門の名前は仁王門)に作られたものだったが、こちらは1964年にホテルニューオータニの大谷米太郎によって再建されたものだそうだ。942年といえば、関東地方ではこの7年前に平将門の乱が起きた頃。将門公と何かしらの関係があるのだろうか?暇な時に調べてみよう。

五重塔。江戸幕府の三代将軍家光が寄進したものを1973年に再建したものだそうだ。近くで見ると思った以上に高い。法隆寺の五重塔や各地の城郭などを見るといつも思うが、木造でこれだけの高層建築を立ててしまう昔の日本人の技術力ってすごい。

そして本堂である。

浅草寺の草創(628年)は推古朝だという。つまり聖徳太子の頃からあったお寺というということになる。日本に仏教が伝わったのが538年なので、このお寺は日本の仏教史の始め頃から存在してきたということになる。もっと新しいお寺だと思っていたので、意外に歴史のあるお寺だということが分かり、若干の驚きである。このお寺の草創が本当に推古朝だったとすると、仏教は当時の辺境の地であった関東地方にまで及んでいたということになる。仏教を重んじる飛鳥王朝の支配がこの頃の関東地方にもちゃんと確立していたということを物語っているともいえるだろう。
まあ何はともあれ、本堂で参拝しお守りを購入。無事、初詣を完了したというわけである。歴史を知ることができるというのが、寺社めぐりの楽しみの一つだが、たまらないほど興奮するのは、歴史的な知識と寺社のような目の前にある歴史的遺物が結びついた瞬間である(私だけ?)。今年は、こうしたマニアな興奮を味わいながらの初詣となった。興味のない人にはどうでも良いことなのだろうな〜。
下の花はサンタンカ(山丹花:イソクラ・コッキニア)。日本的な名前だが、れっきとした熱帯の花である。ちなみに、学名の「イソクラ」は、ヒンドゥー教の最高神である「シヴァ神」を意味するそうだ。夢の島熱帯植物館にて撮影。

冬期休暇が終わり、静かだった大学が学生たちで溢れ返っている。まあ大学が学生で溢れているというのも、当然といえば当然の話なのだが。
さて、先日の日記にあるように、毎年初詣に訪れている湯島天神だが、今年はちょうど前日の大晦日の日に行ってしまったため、初詣の行き場を失ってしまった。どこへ行こうか考えながら先延ばししてきたのだが、大学に行く途中で手軽に行ける寺社に的を絞り、冬期休暇の最後の日である1月7日の午前中ようやく初詣に行ってきた。
向かった先がこちら。

雷門。とくればお分かり頂けるだろう。浅草の浅草寺である。さすが全国区のお寺だけあって、年明けから1週間が経とうとしているのに、ものすごい人ごみだった。下の画像は仲見世。「元禄、享保のころ」に始まった日本で最も古い商店街の一つだそうだ。

浅草寺といえば、やはり雷門が有名だが、下の宝蔵門も立派である。どちらの門も942年(この頃の宝蔵門の名前は仁王門)に作られたものだったが、こちらは1964年にホテルニューオータニの大谷米太郎によって再建されたものだそうだ。942年といえば、関東地方ではこの7年前に平将門の乱が起きた頃。将門公と何かしらの関係があるのだろうか?暇な時に調べてみよう。

五重塔。江戸幕府の三代将軍家光が寄進したものを1973年に再建したものだそうだ。近くで見ると思った以上に高い。法隆寺の五重塔や各地の城郭などを見るといつも思うが、木造でこれだけの高層建築を立ててしまう昔の日本人の技術力ってすごい。

そして本堂である。

浅草寺の草創(628年)は推古朝だという。つまり聖徳太子の頃からあったお寺というということになる。日本に仏教が伝わったのが538年なので、このお寺は日本の仏教史の始め頃から存在してきたということになる。もっと新しいお寺だと思っていたので、意外に歴史のあるお寺だということが分かり、若干の驚きである。このお寺の草創が本当に推古朝だったとすると、仏教は当時の辺境の地であった関東地方にまで及んでいたということになる。仏教を重んじる飛鳥王朝の支配がこの頃の関東地方にもちゃんと確立していたということを物語っているともいえるだろう。
まあ何はともあれ、本堂で参拝しお守りを購入。無事、初詣を完了したというわけである。歴史を知ることができるというのが、寺社めぐりの楽しみの一つだが、たまらないほど興奮するのは、歴史的な知識と寺社のような目の前にある歴史的遺物が結びついた瞬間である(私だけ?)。今年は、こうしたマニアな興奮を味わいながらの初詣となった。興味のない人にはどうでも良いことなのだろうな〜。

